自己満足は大事?個性を貫く成人式はアリorナシ?
一般に日本には、人生の節目の儀礼はフォーマルでという考え方が根強く残っています。そのため、成人式に出席する場合は男女とも振袖やスーツなど、かちっとしたスタイルの人が多い傾向にありますが、中には自分の個性を貫く服装で出席する人もいます。記憶の中ではおとなしかった女の子が、成人式にゴスロリファッションで出席して驚いた、という体験談もあります。
これは一般的に見てどうなの?今回は、成人式に個性を重視した服装で出席するのはアリかナシかについて取り上げてみたいと思います。
成人式に服装の縛りはありません
成人式は公的な行事ではありません。市町村が行う場合も、有志によって行われる場合もあり、服装に規定はないのが普通です。出席する人が全員振袖やスーツでなければならないという決まりはないのです。
その中で、どこまで自分を出して良いのか、ということですが、これにはさまざまな見方があります。
一生に一度だからこそ、個性は隠す
考え方は人それぞれですが、成人式は自分のためのものではなく、親への感謝の場であるととらえ、親の望む装いで出席するべきという考え方があります。
親御さんが振袖を着てほしいと用意してくれているのに、自分は似合わないから、好みではないから、と突っぱねるのは少々子どもであるとも言えます。
子の健やかな成長を願い続けた親にとって、自分の子どもが立派な姿で成人式に出席することは何よりも嬉しいことです。その気持ちを無下にするのが正しいとは言い難いでしょう。
一生に一度の式だから、自分の思う服装を
とはいえ、成人式は一生に一度です。我慢してみんなと同じ服装をするのではなく、本当に着たいもの、自分に似合うものを着るというのも選択肢のひとつです。
ほとんど統一された装いの中で個性を貫くのは勇気のいることですが、それでも自分の意志を貫き通すのは潔くて素敵なことかもしれません。
節目の儀礼に是非とも身に纏いたい服装があるのなら、その気持ちを尊重するのも良いのではないでしょうか。
自分を出すと決めたら注意したいこと
成人式で自分の思う通りの装いをしようと決めた時に注意したいことがあります。それは、成人式が文化祭やファッションショーなどのイベント会場ではないということです。
そして、特別な装いをすると他の出席者の記憶に残るということも考慮しましょう。
自由をはきちがえない
成人式の服装に決まりがないとはいえ、やはり常識の範囲内で装うということは大事なことかもしれません。
たとえば、ゴスロリなどの個性的なファッションで出席するのはおしゃれの範囲かもしれませんが、着ぐるみを着て式に臨むのは個性と言えるでしょうか。
服装にこだわりがあり、普段からそれを貫いている人が成人式で身に纏うものが多少個性的であったとしても責められるいわれはないでしょう。けれど、悪ふざけで奇抜な恰好をするのは他の出席者に失礼です。
式典に出席できる恰好かどうかということを良く考えた上で服装を決めましょう。これは、大人としてわきまえておくべきことです。
後で振り返った時に後悔しないように
成人式に出席する時点では良いと思っていた装いが、数年後に振り返ってみたらとんでもないものに思える場合もあるかもしれません。
良く言われるのが、将来必要になるからスーツで出席したけれど、周りが振袖ばかりの中地味で目立たず、写真でも埋もれて見えて後悔した、という話です。スーツの場合はフォーマルなため問題があるわけではありませんが、それでも後悔する人もいるのです。
個性を貫く服装ということは、大勢の正装の人たちの中で悪目立ちする可能性もあります。後々成人式の写真を見た時に後悔しないかどうか、人に堂々と見せることができるかなども考えてみると良いかもしれません。
服装の好みはアイデンティティの一部ですが、性格などに比べて移ろいやすく、絶対的なものではないということを心に留めておきましょう。
色々と述べましたが、成人式の服装については、自分の納得のゆくもので良いと思われます。
本来は、本人が正しいと思う服装であれば、それが個性的であったとしても周りがとやかく言うことではないのです。本当に重視すべきは外見ではなく、成人としてふさわしい態度で式に臨んでいるかどうかということではないでしょうか。
たとえ振袖や羽織袴を身に着けていたとしても、壇上の人の話を聞くこともなく雑談に興じているのは、一生に一度の人生の節目の儀礼である成人式を冒涜しているのと同じです。フォーマルな服装であっても、態度が伴わなければ何の意味もありません。装いは周りに失礼がなければ自由で良いですが、態度は成人としてふさわしいものを身に着けて式に出席するようにしましょう。
せっかくの晴れの式典なのですから、後々後悔することのないように過ごしたいですね。